2019-05-23 第198回国会 参議院 総務委員会 第11号
とするならば、この懇談会の報告を基に作られた政府見解、これ実際、公式参拝前日の八月十四日付けで当時の藤波官房長官が出されているものですけれども、この政府見解が無効ではないかと、こういうふうな議論がありますけれども、どういう判断でしょうか。いかがでしょうか。
とするならば、この懇談会の報告を基に作られた政府見解、これ実際、公式参拝前日の八月十四日付けで当時の藤波官房長官が出されているものですけれども、この政府見解が無効ではないかと、こういうふうな議論がありますけれども、どういう判断でしょうか。いかがでしょうか。
私も大臣と同じ三重県の藤波官房長官の秘書をやり、それでその後、後藤田さんの秘書官をやりましたけれども、要するに、悪い情報は夜中でも入れるんです。たたき起こしてでも入れるんです。これは当たり前のことで、危機管理の鉄則でございます。 今回の件は、確かにどうなるかわかりません。先ほど大臣が言われたように、いろいろと分析、検討も必要でしょう。
振り返ってみますと、リクルート事件で当時の藤波官房長官が逮捕されたのは、リクルート社のために公務員採用試験を遅らせるように働きかけた汚職が理由だったわけですよね。お手盛りにすれば、もっと大きな政治的な不正、こんなことも起こりかねない。
そこで、退職問題との関係で採用問題について、根本副大臣にも来ていただいておりますから御質問したいというふうに思うんですけれども、公務員制度改革の中で、採用の在り方については内閣が企画立案、内閣が関与すると、こういうことが示されてきているわけでありますけれども、この内閣が関与するということについては私ども民主党は反対をしているんですけれども、とりわけリクルート事件のときのような藤波官房長官の問題が起こるんではないかというのがまず
○高嶋良充君 時間が参りましたので、要望だけしておきますけれども、藤波官房長官のリクルート問題のときに、政治の側が、政治家である藤波官房長官が、人事院に対して、試験日程の繰上げ等々も含めて、一定の圧力を掛けられたと。しかし、第三者機関であるがために人事院はそのことをはね付けられたと。そのことによって、問題にはなったけれども、そのことで藤波官房長官が罰を受けるということはなかったわけですね。
例えば、第三分類なんてやりますと言ったのは、たしか中曽根内閣の藤波官房長官が、これは内閣においてやります、責任持ってやりますとおっしゃったのはもう今から二十何年も前のことであって、今までずっとそういう話だった。ある意味、消極的権限争いみたいなところもある。米軍の法制だってそうですよね。
私は、十九年前の古い話で恐縮ですけれども、リクルート事件、当時の藤波官房長官が、リクルート側の請託を受けて国家公務員の採用試験の合格発表を暗に時期を延ばせと、こういうふうに人事院に圧力を掛けた、こういうことが明らかになりまして、これは有罪が確定をしたわけですね。
そこで僕は、これを内閣に移すということは一体どうなのかなと思って考えていたら、ちょうどもう十数年前ですか、リクルート事件で藤波官房長官がやられたことと同じことがどんどん起こってくるんではないかなというふうに思って、当時の新聞をあれしてきました。
あるいは中曽根内閣総理大臣、藤波官房長官答弁みたいなお話もあって、二十数年も前に同じ議論がされていた。それは非常にぐあいが悪いのではないか、期限というのをきちんと区切らないと答えは出ないのではないか、そういうような趣旨で申し上げたと思います。今もその気持ちに変わりはございません。 翻って申し上げますと、では二年以内ならいいのかということにもなるだろうと思うのです。
昭和六十年の藤波官房長官に提出された閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会の報告でさえ、「靖国神社がたとえ戦前の一時期にせよ、軍国主義の立場から利用されていたことは事実である」として、軍国主義に利用されていたということを認めているではありませんか。 もう一度、官房長官、これは利用されていなかったと言い切るのかどうか、利用されていたという事実は認めるのかどうか、答弁をしてください。
これは後ほど申し上げますが、民間防衛について、今を去ることもう二十年近く前、昭和五十九年、参議院予算委員会で藤波官房長官が、民間防衛はどこの省庁の所管ですかというふうに聞かれまして、藤波長官答えていわく、内閣官房が中心となって政府全体として法制整備を進めてまいりたいと思いますという答弁が、何と昭和五十九年なんです。今から何年前のことですかね。十八年も前の話なんです。
正に国民の大半は我が国の戦没者の追悼施設は靖国神社以外にないと、こういうふうに考えている方が多いわけでございますけれども、また、このことについては、これも申すまでもないことですけれども、六十年の藤波官房長官の談話の中にも明記をされているわけでございます。
こういうことは昭和六十年の藤波官房長官の談話の中にもあるわけでございますけれども、いろいろと仏教等で魂魄というようなことが言われますけれども、魂、すなわち魂というのは靖国神社にある。それから魄の、遺骨は千鳥ケ淵にある。
そこで、これも六十年のときの藤波官房長官の懇談会の中で出たそうでございますけれども、ある委員から新しい国立の施設をつくったらどうかと、こういうような意見が出たそうでございますけれども、その途端に別の委員から、私は時々九段かいわいを散歩するが、いつ行っても千鳥ケ淵墓苑には犬ころ一匹もいない、ところが靖国神社は必ずだれかがもうでている、千鳥ケ淵ですらこのとおりである、新しい施設をつくったところでだれが訪
これに関しては、過去も閣僚の何人かは、公式、こういう形で参拝した事例もありますし、たしか中曽根内閣のときに、当時の藤波官房長官のもとで、靖国神社の参拝は憲法に照らして憲法違反にはならない、こういう見解も出ておりますから、恐らく小泉総理は、その見解に従って公式に参拝される、こういう形で表明をされているのではないか、このように思っておりまして、それは政治家である、総理大臣である小泉総理の御判断だ、このように
それが、六十年の憲法問題につきまして若干の抵触があるかというようなことの議論が出たわけでありましたが、当時の藤波官房長官の諮問機関で議論したところ、そういうことはないということにも相なったわけであります。
官房長官おっしゃいますとおり、既に憲法問題、昭和五十年代につきましては憲法上疑義がある、こういうようなことでいろいろと問題になり、総理の参拝が公的だとか私的だとかそういったことが言われてきたわけでございますけれども、六十年八月十四日でございますか、当時の藤波官房長官談話というものが出まして、あすは中曽根総理が靖国神社に公式参拝しますよ、そして憲法の問題につきましては、要するに中曽根総理が参拝された一礼方式
これを受けまして、当時の藤波官房長官は、委員長の指摘を受けて内閣としても調査すると。そして事務次官会議も開いて大蔵省が中心になって全省庁調査したわけでございます。そして、これはちょっと後の話ですけれども同じ昭和五十九年のことです。十一月二日に決算委員会にその大蔵省が中心になって取りまとめた報告をした。
あれは藤波官房長官のころでございましたが、戦後処理問題懇談会というものが開かれまして、ソ連抑留者、恩給欠格者並びに在外の引揚者についての三つの問題を処理するための懇談会が開かれました。
ただいまお尋ねの中で御指摘がありましたように、昭和六十年の八月の十五日に、当時の中曽根総理が靖国神社にいわゆる公式参拝をしたわけでございますが、その前日の八月十四日に当時の藤波官房長官が、そしてその直後の衆参の内閣委員会におきまして、またるる説明がございました。
まず、当時の藤波官房長官談話、昭和六十年八月十四日、これをもとにして八月十五日に中曽根総理は公式参拝をされた。そしてその後、同じ昭和六十年の八月二十日に衆議院内閣委員会に、政府の統一見解として従来の解釈を変えるということが出されております。 この中曽根内閣時代の統一見解についてもいろいろ議論があるところは、総理も御存じのとおりだと思います。
これは藤波官房長官の時代でしたよ。このときに、青森県のむつ小川原開発というものは石油コンビナートである、その石油コンビナートにプラスして核燃のサイクルを持ってきたわけです。二つもこの巨大開発の中に入れるという場合は、全く一つはもう死んだからこちらの方に移ったのにもかかわらず、なおる油化学のコンビナートにするんだということでひっ提げたままです。
ただ、先ほど申されました藤波官房長官と言いましたけれども、冒頭陳述には官房副長官と書いてありますことを申し添えておきます。